三河地震は、1945年1月13日午前3時38分23秒に、愛知県の三河湾で発生した
直下型地震である。 1945年の敗戦前後にかけて4年連続で1000名を超える
死者を出した4大地震(鳥取地震、東南海地震、南海地震)の一つである。
震源が浅く、マグニチュード6.8と規模が大きかったにも関わらず、
被害報告はごく僅かしか残されていないために、現在に至ってもこの地震に
ついて詳しいことは判っていない。地震が発生した当時は太平洋戦争中であり、
『戦意を低下させないよう』、当時の政府当局によって
(敵への情報流出も作戦へ影響するため)報道管制が敷かれ、
三河地震のことを一切報道するなと圧力をかけたからであるとも言われる。
1ヶ月前の1944年12月7日に発生した東南海地震の最大規模の余震ともいわれており、
地震発生当初は第一次地震と呼ばれた東南海地震に対して第二次地震と呼称された。
死者1180人、行方不明者1126人、負傷者3866人。家屋の全壊は7221戸、半壊1万6555戸、
全焼2戸、半焼3戸、その他2万4311戸。
Wikipedia より。
2 件のコメント:
戦時中に地震。
住民にとっては、
言葉にできないほどのつらさだったでしょうね。
りんごさんへ
しかも敗戦近く物資も乏しかった時期での大地震、想像を絶するような状況であったのでしょう。
死者数、その他の被害状況もここに記載されている以上のものであったと、推察されています。
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