安岡正篤著、東洋思想十講「人物を修める」、竹井出版社から
部分引用して、人物を観る原則のひとつ「八観」を書いてみよう。
また、安岡正泰監修、安岡正篤一日一言、致知出版社も参考
にした。
「八観」
「貴(たか)ければその進むる所を観る」
地位や身分が上がり出世すると、どういう人間を推薦するか、
あるいはどういう人間を敬い尊ぶかを観察する。
「富めば其の養ふ所を見る」
金ができると何を養うかを観察する。
「聴けば其の行ふ所を観る」
善いことを聴いたら、それを実行するかどうかを観る。
「習へば其の言ふ所を観る」
習とは習熟することで、習熟すればその人間の言うところを観る。
「止(いた)れば其の好む所を観る」
この止(いた)るとは、板につくという意味です。仕事が板について
くると、すなわち一人前に仕事ができるようになると、そのとき何を
好むか、これを観る。
「窮すれば其の受けざる所を観る」
貧乏したときに何を受けないかを観る。人間は窮すると何でも受ける
ものであります。
「賎なれば其の為さざる所を観る」
人間は落ちぶれると何をするやらわかりません。だから、為さない
ところを観る。
「通ずれば其の礼する所を観る」
通は行き詰まらずにすらすらとゆくことです。すらすらとうまく行き出した
時に、何を礼するか、すなわち何を尊重するかをみる。
この「八観」も呂氏春秋(呂覧ともいわれる)に書かれており、「六験」と
あわせて、人物を観る「八観六験」の法とも言われている。この八観六験
の法は、安岡正篤著、人物を創る、プレジデント社にも書かれている、
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