2008年10月13日月曜日

人物を観る原則「六験」

 安岡正篤著、東洋思想十講「人物を修める」、竹井出版を参考とし,
部分的に引用しながら、人物を観る原則のひとつ「六験」につい
て書いてみよう。この六験は呂氏春秋という書に書かれております。
呂氏春秋とは、戦国時代の秦の宰相”呂不い”がその食客たちに編
集させたといわれる古典。諸子百家の諸説を集めたものとされます。

「六験」

 「之を喜ばしめて以て其の守を験す」

 人間には守らなければならぬ分とか、節というものがあります。それを
ちょっと喜ばされたぐらいで外してしまってはいけない。人を喜ばせて、
はめを外すかどうかで、その人をためす(験す)のであります。

 「之を楽しましめて以て其の僻を験す」

 喜ぶと楽しむの違いは、喜ぶは本能的感情、楽しむは理性の加わった
場合を言います。人間は楽しむと、どうしても僻します、かたよります。

 「之を怒らしめて以て其の節を験す」

 人間はどんなに怒っても、締まるとろは締まり、抑えるところは抑えなけ
ればいけません。

 「之を懼(おそ)れしめて以て其の特(独)を験す」

 人間、恐れると、何かに頼りたくなって一本立ちができなくなる。独立性・
自主性を喪います。これではだめです。独立性・自主性を堅持しなければ
なりません。

 「之を哀しましめて以て其の人を験す」

 人間は悲しいときにその人のすべてが現れるものです。だから人柄を
みるのには哀(悲)しませるのが一番であります。

 「之を苦しましめて以て其の志を験す」

 人間は苦しいことにぶつかると、ついへこたれがちになるものです。よく
苦しみに耐えて理想を追求してゆく人であれば間違いないわけです。

 以上が人間観察法の六験でありいます。




 

0 件のコメント: