1989年(平成元年)6月4日に、同年4月の胡耀邦の死を
きっかけとして、中国・北京市にある天安門広場に民主化
を求めて集結していた学生を中心とした一般市民のデモ隊
に対し、中国人民解放軍が武力弾圧(市民に向けての無差
別発砲や装甲車で轢き殺すなど)し、多数の死傷者
が出た事件である。
海外においては「天安門大虐殺(Tiananmen Massacre)」と
も呼ばれる。
1985年3月に登場したソビエト連邦共産党書記長のミハイル・
ゴルバチョフが、共産党による一党独裁制が続く中で言論の
弾圧や思想、信条の自由が阻害されたことや、官僚による腐
敗が徐々に進み硬直化した同国を立て直すために
「ペレストロイカ」を表明、同国の民主化を進める中、
同じく1949年の建国以来長年共産党の一党独裁下にあった
中華人民共和国でも、1986年5月に総書記の胡耀邦が
「百花斉放・百家争鳴」を再提唱して言論の自由化を推進し
、国民からは「開明的指導者」として支持を集めた。
中国共産党の発表では、「事件による死者は319人」となって
いるが、この事件による死傷者については上記の中国共産党
による報道規制により客観的な確定が不可能であり、数百人
から数万人に及ぶなど、複数の説があり定かではない。また、
天安門広場から完全にデモ隊が放逐されたあとに人民解放軍
の手によって死体が集められ、その場で焼却されたという
情報があるように、事件後に中国共産党によって多くの死体
が隠匿されたという報道もある。
上記文章は Wikipedia による。
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