2010年4月26日月曜日

1986年 - ウクライナ共和国のチェルノブイリ原子力発電所で大規模事故

チェルノブイリ原子力発電所事故は、1986年4月26日1時23分
(モスクワ時間 ※UTC+3)にソビエト連邦(ソ連)(現:
ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所4号炉が起こし
た原子力事故。

4号炉は炉心溶融(メルトダウン)ののち爆発し、放射性
降下物がウクライナ・白ロシア(ベラルーシ)・ロシア
などを汚染した。

事故後のソ連政府の対応の遅れなどが重なり被害が甚大化・
広範化し、史上最悪の原子力事故となった。

1971年に着工され、1978年5月に1号炉が営業運転を開始した。

1986年4月26日午前1時23分(モスクワ時間 ※UTC+3)に、
4号炉が原発事故を起こし、世界中にその名が知られた。

その時点で、既に建設中だった5号炉と6号炉は、建設が
中止された。その後も1号炉~3号炉の運転は続けられた
が、2000年12月に停止した。

この規模の原発事故は他に例がなく、世界の原子力開発
の歴史の中で最悪の事故と言われている。

事故当時、爆発した4号炉は操業休止中であり、原子炉
が止まった際に備えた実験を行っていた。この実験中に
制御不能に陥り、炉心が融解、爆発したとされる。

爆発により、原子炉内の放射性物質が大気中に大量に
(推定10t前後)放出された。これは、広島に投下された
原子爆弾(リトルボーイ)による放出量の500倍とも言わ
れている。

当初、ソ連政府は住民のパニックや機密漏洩を恐れ、
この事故を公表しなかった。また、付近住民の避難措置
等も取られなかったため、彼らは甚大な量の放射線を
まともに浴びることになった。

しかし、翌4月27日にスウェーデンのフォルスマルク
原子力発電所にてこの事故が原因の放射性物質が検出され、
4月28日、ソ連も事故の公表に踏み切った。日本でも、
5月3日に雨水中から放射性物質が確認された。

爆発した4号炉をコンクリートで封じ込めるために、
延べ80万人の労働者が動員された。4号炉を封じ込める
ための構造物は石棺(せっかん)と呼ばれている。

チェルノブイリ事故はその規模だけでも比較するものがない。
商用発電炉の歴史で、放射線による死者が出たのはこれが
初めてだった。



上記文章、写真は Wikipedia による。

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