2010年4月4日日曜日

1890年 - ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が来日

名前の「八雲」は、一時期当人が島根県の松江市に
在住していたことから、そこの旧国名(令制国)で
ある出雲国にかかる枕詞の「八雲立つ」にちなむと
される。

彼が松江時代に居住していた住居は、1940年に国の
史跡に指定されている。

16歳のときに怪我で左眼を失明して隻眼となって以
降、晩年に到るまで、写真を撮られるときには必ず
顔の右側のみをカメラに向けるか、あるいはうつむ
くかして、決して失明した左眼が写らないポーズを
とっている。



東京帝国大学では学生の信望が厚く、解任のときは
激しい留任運動が起きた。川田順は「ヘルン先生の
いない文科で学ぶことはない」といって法科に転科
した。後年この話の真偽を尋ねられた川田はそれが
事実であると答え、後任の夏目漱石についても
「夏目なんて、あんなもん問題になりゃしない」と言った。
晩年は右目の視力も衰え、高さが98センチもある
机ので紙を目に近づけランプの光を明るくして執筆
を行った。

『怪談』(かいだん、くゎいだん、英: Kwaidan)は
、小泉八雲が著した怪奇文学作品集。1904年に出版
された。八雲の妻である節子から聞いた日本各地に
伝わる伝説、幽霊話などを再話し、独自の解釈を加
えて情緒豊かな文学作品としてよみがえらせた。
17編の怪談を収めた『怪談』と3編のエッセイを収め
た『虫界』の2部からなる。

上記文章、写真は Wikipedia による。

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