2010年4月5日月曜日

1722年 - オランダ海軍提督、ヤコブ・ロッゲフェーンがイースター島を発見。

発見日がイースターであったことにちなみ名づけられる.

イースター島(英:Easter Island)はチリ領の太平洋上
に位置する火山島。現地語名はラパ・ヌイ
(ラパ・ヌイ語:Rapa Nui)。正式名はパスクア島
(スペイン語:Isla de Pascua)で、"Pascua"は復活祭
(イースター)を意味する。日本では英称で呼ばれるこ
とが多い。

位置は、チリの首都であるサンティアゴから西へ3,700km、
タヒチから東へ4,000kmの太平洋上に位置する。

島の周辺海域はペルー海流が渦巻き、近海は海産資源豊富
な漁場(とくにカタクチイワシ)になっている。

島の全周は60kmほどで、面積は180平方kmである
(北海道利尻島とほぼ同じ)。

モアイの建つ島として有名。ポリネシア・トライアングル
の東端に当たる。周囲には殆ど島らしい島が存在しない
絶海の孤島である。「ラパ・ヌイ」とはポリネシア系
先住民の言葉で「広い大地」という意味。


海底火山の噴火によって、大海原に突然浮かび上がった島
に、最初の移民が辿り着いたのは、遥か昔に漢民族の南下
に伴い、インドシナ半島から押し出されたポリネシア人
である。4世紀~5世紀頃だとされている。

18世紀になって西欧人が島に訪れるまで、島には鉄器や
銅器は存在せず、モアイは比較的に加工し易い凝灰岩を、
玄武岩や黒曜石で作った石斧で刻み、10世紀~17世紀まで、
少なくとも800年は続いた。当時、彼らの作ったモアイや
墳墓、石碑など考古学上、極めて重要な遺跡が数多く残
されている。

モアイを作り運び、モアイを建てる為には大量の木材が
必要で、大量伐採によって森が失われる。森を失った島
からは、肥えた土が海に流れ出し、土地が痩せ衰えた。
そこに人口爆発が起こり、当時の島には、1万人
(一説では2万人)を超える人々が、暮らしていたと言
われている。僅か数十年の間に、人口が4倍にも5倍にも
膨れ上がり、やがて深刻な食糧不足に陥るようになり、
頻繁に耕作地域や漁場を争っては、部族間に武力闘争が
生じるようになる

閉鎖された空間に存在した文明が、無計画な開発と環境
破壊を続けた結果、資源を消費し尽くして最後にはほぼ
消滅したという歴史は、現代文明の未来への警鐘として
言及されることが多い。

以上の文章、写真は Wikipedia による。

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