2008年10月18日土曜日

木鶏

 安岡正篤著、東洋思想十講「人物を修める」、竹井者出版社より、木鶏の説を引用してみよう。

 紀せい子という人が闘鶏の好きな王のために軍鶏を養って調教訓練しておりました。そして十日ほど経った頃、王が、”もうよいか”とききましたところが、紀せい子は、”いや、まだいけません、空威張りして「俺が」というところがあります。”と答えました。さらに十日経って、またききました。”未だだめです。相手の姿を見たり声を聞いたりすると昂奮するところがあります。”また十日経ってききました。”未だいけません。相手を見ると睨みつけて、圧倒しようとするところがあります。”こうしてさらに十日経って、またききました。そうすると初めて”まあ、どうにかよろしいでしょう。他の鶏の声がしても少しも平生と変わるところがありません。その姿はまるで木彫りの鶏のようです。全く徳が充実しました。もうどんな鶏を連れてきても、これに応戦するものがなく、姿を見ただけで逃げてしまうでしょう。”と言いました。

 この木鶏の話は、安岡正泰監修、安岡正篤一日一言、致知出版社にも載っています。

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