2010年9月26日日曜日

1954年 - 洞爺丸事故。

洞爺丸台風により青函連絡船「洞爺丸」が転覆。死者行方不明1155人。


1954年9月26日未明に日本に上陸していた台風15号は、12時時点で佐渡島付近
にあって、日本海を時速100kmを超えるスピードで北上していた。台風はその
後渡島半島を通過して、17時ごろ津軽海峡にもっとも接近すると予想されてい
た。

11時00分、午前中青森からの3便で運航を行っていた洞爺丸は、函館に到着。
折り返し14時40分出航4便となる予定で、近藤平市船長は台風接近前に陸奥湾
に入り、青森に到着する見通しを立てていた。

またこの日函館市内で断続的に発生していた停電のために船尾の可動橋
(車両を載せるために船体後部にかけられる橋)が上がらず、洞爺丸も15時
10分に台風接近を恐れて運航を中止した。この停電はわずか2分間のことで、
停電がなく可動橋が上がっていたら無事に青森に到着していたであろうとい
われている。

第十一青函丸(2,851トン):19時57分を最後に通信途絶。後に波浪による
船体破断のため沈没。乗員90名全滅。未発見遺体は44。全員が死亡したため
正確な時刻は不明だが殉職者の時計から20時頃と推定されている。

北見丸(2,928トン):22時35分葛登支灯台沖にて転覆沈没。沈没地点が8キロ
も沖合だった事から乗員70名殉職、未発見遺体29。生存者6名。
半数は行方不明で太平洋に流されたと見られる 。
洞爺丸(3,898トン):22時43分七重浜沖600mにて座礁。後に転覆。22:41頃、
「SOS de JBEA 洞爺丸、函館港外青灯より267度8ケーブルの地点に座礁」、直ちに
「JBEA de JNI RRR SOS」と函館海保局が応答。乗客・乗員1,314名中1,155名死亡、
生存者159名。
日高丸(2,932トン):23時32分SOSを打電中、23時40分防波堤灯台西方1.5km
にて転覆沈没。乗員56名殉職、未発見遺体2。生存者20名。最後の電文は
「SOS de JQLY(=日高丸) 函館防波堤灯台よりW9ケーブルの位置にて遭……
(以下途絶)」

一夜にして遭難した5隻をあわせた犠牲者は最終的に1,430人にも上り、
戦争による沈没を除けば、発生時点では1912年のタイタニック号沈没、
1865年のサルタナ号火災に次ぐ世界第3の規模の海難事故であった。
十勝丸(2,912トン):23時43分葛登支灯台沖8kmにて転覆沈没。
乗員59名殉職、生存者17名。

Wikipedia より引用。

1 件のコメント:

狼皮のスイーツマン さんのコメント...

有名な海難事故

昨今は温暖化で海の気象状況も予測不可能な場合があると聞きます