慰霊の日は、沖縄県が制定している記念日で、日付は6月23日
である。
沖縄戦は1945年3月26日から始まり、組織的な戦闘は6月23日で
終了したとされる。
米軍の作戦目的は本土攻略のための航空基地・補給基地の確保
であり、日本軍のそれは当時想定されていた本土決戦への流れ
の中に位置づけられる。
主要な戦闘は沖縄本島で行われた。日本軍は水際迎撃を避けて、
持久戦闘を基本方針として戦った。特に首里(現那覇市の一部)
北方で激戦となった。沖縄諸島周辺の海上でも、神風特攻隊を
中心とした日本軍航空部隊や戦艦「大和」などと、連合軍艦隊
の間で戦闘が行われた。上陸後2ヶ月経った1945年5月末に、
連合軍が首里を占領した。日本軍は南部に後退したが、6月下旬
までに組織的戦力を失った。掃討戦は終戦まで続いた。
太平洋戦争で唯一地上戦が行われた沖縄戦は、20万人を越す
戦死者のうち、9万4,000人が、兵隊以外の一般県民や子供
という、一般住民の間で多くの犠牲者をだした悲惨極まりのない、
かつ戦略的には何ら意味のない戦闘であった(県民のなかには
集団自決や日本軍による虐殺、軍命により強制移住させられ
マラリアにかかり死亡、あるいは一家全滅した例などさまざまな
戦死等があり、実数は今日に至るまで判明していない。
また、人命ばかりでなく、21件も存在した国宝文化財をはじめ
とする多くの文化遺産がことごとく灰燼【かいじん=すっかり燃
えて跡形もなく灰になってしまう】に帰した)
上記文章、写真は Wikipedia による。
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