2010年4月9日金曜日

千葉県:勝浦灯台からみた八幡岬


(注:画像をクリックしていただければ、大きくなります。)

現在の灯塔高(地上から塔頂まで)21.2m、標高
(平均海面~灯火)71mで、第4等フレネル式
レンズを使い、光度14万カンデラ、光達距離は
22海里(約41km) です。内部は、一般公開は
されていないので、通常は外観を見学するだけです

灯台より、八幡岬(勝浦城址)を望む。

勝浦湾の東南端に突き出た天然の険しい崖の上(八幡岬)
に築かれた海城(要害)で、築城経緯・時期などの詳細
は不明だが、1521年(大永元年)に真里谷城の城主だった
上総武田氏の一族の真里谷信興(真里谷信清?)が安房の
里見義尭による北上阻止のために支城として築城された
という説がある。

1590年(天正18年)に徳川家臣の本多忠勝に攻められ落城後
廃された。城が存在した場所は現在、八幡岬公園となっている。

 勝浦城は、天文十一年(1541)の頃、勝浦正木氏の初代、
正木時忠が入城。それ以前は、真里谷武田氏の砦のようなもの
であったろうと言われています。その後、二代時通、三代頼忠
の居城となります。しかし、天文十八年(1590)、豊臣秀吉
により安房里見氏が領地の一部を没収されると、里見氏と親交の
あった勝浦城主正木頼忠も城を明け渡し、安房に逃れます。なお、
頼忠の娘は、後に徳川家康の側室(お万の方)となり、
紀州徳川頼宣と水戸徳川頼房をもうけます。高名な水戸光圀(黄門)
は、お万の方の孫にあたります。また、絶壁を布を伝わって下りた
という「お万布ざらし」伝説は、神社裏の断崖絶壁が舞台です。

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