2011年8月10日水曜日

8月は「北方領土返還運動全国強調月間」です

以下の文章は、内閣府北方対策本部、8月は「北方領土返還運動全国強調
月間」です、四島(しま)を日本へー から、引用したものである。

北海道の北東洋上に連なる歯舞(はぼまい)群島、色丹(しこたん)島、
国後(くなしり)島、択捉(えとろふ)島の北方領土は、日本人によって
開拓され、日本人が 住み続けていた島々です。しかし、1945年(昭和20年)
8月の第二次世界大戦終了直後、北方領土はソ連軍(現ロシア軍)によって
不法に占拠され、日本でありながら日本人の住 めない島々になってしまい
ました。

「北方領土問題」とは、第二次世界大戦後から60年以上が経過した今もなお、
ロシアに不法占拠されている北方領土の返還を、一日も早く実現するという、
まさに国家の主権にかかわる重大な課題なのです。

第二次世界大戦末期の昭和20年8月9日、ソ連は、当時まだ有効であった日ソ
中立条約(日本とソ連は、お互いに侵略行為は行わない、という二国間での
取決め)を無視して対日参戦しました。ソ連が千島列島に上陸したのは、
日本がポツダム宣言を受諾して連合国に降伏した8月15日から3日後の8月18日
でした。

その後、ソ連軍は島に沿って南下し、8月28日から9月5日までの間に択捉島、
国後島、色丹島及び歯舞群島のすべてを占領してしまいました。

終戦時、択捉島より南の島々には約17,000人の日本人が住んでいました。
ソ連軍の不法占拠によって、その半数の者は不安と恐怖のあまり小舟に乗
り、自力で島を脱出しました。しかし、それ以外の島民は脱出することが
できず、樺太などで苦しい生活を送った後、昭和22年から24年にかけて強
制的に日本本土に引き揚げさせられました。

その後、北方四島は、戦後60年以上が経過した今日もなお、ロシアの不法
占拠の下に置かれた状態が続いています。

参考資料
どうなっているの?北方領土問題

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