以下の文章は、内閣府北方対策本部、8月は「北方領土返還運動全国強調
月間」です、四島(しま)を日本へー から、引用したものである。
北海道の北東洋上に連なる歯舞(はぼまい)群島、色丹(しこたん)島、
国後(くなしり)島、択捉(えとろふ)島の北方領土は、日本人によって
開拓され、日本人が 住み続けていた島々です。しかし、1945年(昭和20年)
8月の第二次世界大戦終了直後、北方領土はソ連軍(現ロシア軍)によって
不法に占拠され、日本でありながら日本人の住 めない島々になってしまい
ました。
「北方領土問題」とは、第二次世界大戦後から60年以上が経過した今もなお、
ロシアに不法占拠されている北方領土の返還を、一日も早く実現するという、
まさに国家の主権にかかわる重大な課題なのです。
第二次世界大戦末期の昭和20年8月9日、ソ連は、当時まだ有効であった日ソ
中立条約(日本とソ連は、お互いに侵略行為は行わない、という二国間での
取決め)を無視して対日参戦しました。ソ連が千島列島に上陸したのは、
日本がポツダム宣言を受諾して連合国に降伏した8月15日から3日後の8月18日
でした。
その後、ソ連軍は島に沿って南下し、8月28日から9月5日までの間に択捉島、
国後島、色丹島及び歯舞群島のすべてを占領してしまいました。
終戦時、択捉島より南の島々には約17,000人の日本人が住んでいました。
ソ連軍の不法占拠によって、その半数の者は不安と恐怖のあまり小舟に乗
り、自力で島を脱出しました。しかし、それ以外の島民は脱出することが
できず、樺太などで苦しい生活を送った後、昭和22年から24年にかけて強
制的に日本本土に引き揚げさせられました。
その後、北方四島は、戦後60年以上が経過した今日もなお、ロシアの不法
占拠の下に置かれた状態が続いています。
参考資料
どうなっているの?北方領土問題
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