ソ連首相スターリンは、8月23日に日本軍捕虜50万人のソ連移送と強制
労働利用の命令を下した。
シベリア抑留は、第二次世界大戦でソ連軍が侵攻・占領した満州におい
て、終戦後武装解除し投降した日本軍捕虜及びソ連軍が逮捕した日本人
らを、ソ連が主にシベリアやモンゴルに労働力として移送隔離し、奴隷
的強制労働に従事させた事に対する日本側の呼称である。
厳寒環境下で満足な食事や休養も与えられず、苛烈な労働を強要させら
れたことにより、多くの抑留者が死亡した。
抑留された捕虜の総数は、作業大隊が570あったため、当初は総数57万5
千名が連行されたと考えられたが、65万人というのが定説である。
一説には70万人近くが移送されたと言われ、最高数としては200万人以上
との説がある。モスクワのロシア国立軍事公文書館には約76万人分に相当
する量の資料が収蔵されている。
一般的には「シベリア抑留」という言葉が定着しているが、実際には現在
で言うモンゴルや中央アジア、北朝鮮、カフカス地方などのヨーロッパ-
ロシア、などにも送り込まれていた。現在でも、それらの地域には抑留者
が建設した建築物が残存している。
1947年から日ソが国交回復する1956年にかけて、抑留者47万3000人の日本
への帰国事業が行われた。最長11年抑留された者も居た。
冷戦終結後に、ロシア側から収容所や墓地の所在地リストが日本政府に手
渡されたことに基づき、厚生省(現・厚生労働省)や民間の遺族団体など
によって、毎年夏季に現地で抑留中死亡者の遺骨収集事業が進められてい
ます。
シベリア抑留生活で命をおとされた方々に衷心より哀悼の意を表します。
4分45秒でわかるシベリア抑留のタイトルで、1200daa さんが 2010/08/12
にアップロードした YouTube 動画を下記に示す。
参考資料
シベリア抑留
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