白瀬 矗(しらせ のぶ、 文久元年6月13日(1861年7月20日)- 昭和21年
(1946年9月4日)は、大日本帝国の陸軍中尉であり、南極探検家。
積載量僅かに200トンという木造帆船に中古蒸気機関を取り付けるなど
の改造を施された「開南丸」と命名された(命名者は東郷平八郎)船で、
南極を目指し、オーストラリアのシドニーを1911年11月19日出港。
1912年(明治45年)1月16日に南極大陸に上陸し、その地点を「開南湾」
と命名した。同地は上陸、探検に不向きであったためロス棚氷・クジラ湾
より再上陸。
1月20日に極地に向け出発した。探検隊の前進は困難を極め、28日に帰路の
食料を考え、極点到達を断念、南緯80度5分、西経165度37分の地点に日章旗
を掲げ、同地を「大和雪原」と命名してた。同地には「南極探検同情者芳名簿
をうめた。
なお、この地は氷上であり大陸ではなかった。
その後1956年に南極観測が行われるようになった。
南極観測船は当初、海上保安庁による運用であったが、後に海上自衛隊による
運用になった。南極地域の観測及び南極地域観測隊の日本と南極との往復に
以下の船が用いられた。
初代:宗谷(1956~1965)
2代:ふじ(1965~1983)
3代:初代しらせ(1983~2008)
4代:しらせ・2代目(2009~)
3代目初代しらせ(1983~2008)、4代目しらせ・2代目は、
白瀬 矗(しらせ のぶ)南極探検家の姓から名づけられたものである。
Wikipedia より。
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