昨日(2月25日)、日中の九州北部や中国地方に続き、
関東でも春一番が吹きました! 春一番(はるいちばん)は、
例年2月から3月の半ば、立春から春分の間に、その年に
初めて吹く南寄り(東南東から西南西)の強い風のこと。
さて、今日2月26日は、いわゆる二・二六事件
(ににろくじけん)が発生し、、1936年2月26日から
2月29日にかけて、日本の陸軍皇道派の青年将校らが
1483名の兵を率い、首相官邸等を襲撃した。
東京府東京市四谷区仲町3丁目(現:東京都新宿区)の
内大臣斎藤実の私邸が襲撃される。襲撃部隊は警備の
警察官の抵抗を制圧して、特に抵抗もなく内府の殺害
に成功する。
赤坂表町3丁目の大蔵大臣高橋是清の私邸を襲撃した。
警備の巡査玉置英夫が奮戦するが重傷を負う。
反乱部隊は蔵相の殺害に成功した。
大蔵大臣等が殺害され、永田町一帯が占拠された。
軍と政府は、彼らを「叛乱軍」として武力鎮圧を決意し、
包囲して投降を呼びかけた。反乱将校たちは下士官・兵
を原隊に復帰させ、一部は自決したが、大半の将校は
投降して法廷闘争を図った。
29日午前5時10分に討伐命令が発せられ、午前8時30分
には攻撃開始命令が下された。戒厳司令部は近隣住民を
避難させ、反乱部隊の襲撃に備えて愛宕山の日本放送
協会を憲兵隊で固めた。同時に投降を呼びかけるビラ
を飛行機[19]で散布した(冒頭写真)。午前8時55分、
ラジオで「兵に告ぐ」と題した「勅命が発せられたので
ある。既に天皇陛下のご命令が発せられたのである…」
に始まる勧告[20]が放送され、また「勅命下る軍旗に
手向かふな」と記されたアドバルーンもあげられた。
また師団長を始めとする上官が涙を流して説得に当たっ
た。これによって反乱部隊の下士官兵は午後2時までに
原隊に帰り、安藤輝三大尉は自決を計ったものの失敗
した。残る将校達は陸将官邸に集まり、法廷闘争を
決意した。この際野中四郎大尉は自決したが、
残る将校らは午後5時に逮捕され反乱はあっけない終末
を迎えた。同日、北、西田、渋川といった民間人
メンバーも逮捕された。
上記記事、写真は Wikipedia より。
詳細は Wikipedia をご参照ください。
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