昨日(11月21日)の朝日新聞朝刊の第一面のトップ記事は、「児童生徒の暴力最多」であった。わたしなりにこの問題を考えると、言葉によるコミュニケーション不足がその原因のひとつになってなっているような気がする。
言葉によるコミュニケーションがうまくいくためには、コミュニケーションをとろうとする相手と同じ知識レベルをを持ち、コミュニケーションをとろうとする相手が聞く耳をもとうとうとすることが必要がある。そして、コミュニケーションをとろうとする相手が自分の主張に対して、僅かでもその正当性に疑問をはさむことが必要である。
先の問題に帰ると、これら三つの事柄の一つを欠いているから、すなわち、コミュニケーション不足の問題から、暴力沙汰に発展するのだと思う。また、先述した同じ知識レベルを持たせるのは教育の基本である。相手の主張に聞く耳を持たせるのも教育の基本である。そして、自分の主張が正しいかどうかを考えることを教えるのも教育の基本である。
これらを考えると、「児童生徒の暴力最多」の問題は、児童教育がうまく機能していないことに起因していると思う。この問題を解決するためには、教師の質の問題、家庭のでの躾の重要性が再考されることであろう。
ふたしかた前は、このような問題がなかったことを思い出そう。
因みに、躾という文字は、身を美しくすると書く。すなわち。躾とは身を美しくすためのものである。
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